最近科学系のチャンネルを見ることが多くなった。
で、そこでは表題の「この世は仮想現実である」ことを「証明した」とか「証拠が発見された」等の主張をしていて、コメントを見ても肯定的な意見が多数派だった。
自分の存在の不思議さとか、この世は誰かが見ている夢かも知れないといった考えには若い頃から興味があったけど、反面こうした役立たずの考えに固執してしまう自分は病的なのではないかという自省もあったりした。
メディアの中を見ていると、みんな「楽をして得をして人に勝つ」という処世にやっきになってる人ばっかりなのではないかという錯覚に陥ることもあるが、役立たずな哲学を好む人がたくさんいることが解ってちょっとホッとしたりした。
ある仏教者から、「子供を作れない人のために輪廻転生という物語がある」と聞いたことがある。
で、その人は「輪廻転生がある」ということは実感していないとも言っていた。つまり否定はしていないが「信じている」と言えるほど肯定もしていない(生きている間は解らない)ということですね。
「この世は仮想現実である」としたらその中で生きている人間はその世界を現実なのか仮想現実なのか判別できないらしい。
だとしたら、
「この世はリアルな現実である」ことは証明できないし、
「この世は仮想現実である」ことも証明できない筈である。
にも関わらず「この世は仮想現実である」ということを「証明した」とか「証拠をみつけた」と主張する科学系のチャンネルがたくさんあるということはひとまずおいときまして、その考えをどのように、なんのためにその考えを使うかという、機能や目的の方が大事となってくる気がする。「輪廻転生」という物語を子供を作れない人のために使う、といったように。
「この世は仮想現実である」という考えは大体今のところ3種類の使われ方をされているように思う。
1.陰謀論
この世は大きな力を持った者によって動かされていると言う都市伝説。
どうせ疑惑であって証明されることはないのだから好き勝手にものが言えるという自由さ。
自分は世界の真実を知っているという知的優越感。
ただしよくある陰謀論のように陰謀者(世界をシミュレートしている者)に対する怒りの感情がこもったコメントはないですね。むしろ世界を(奇跡のように)美しく作ってくれたことに対する感謝の意を表明してるコメントが多い。これはホーキング博士の人間原理の影響が大きいんでしょうね。シミュレートしている者に対して怒りを表明しちゃうと罰を受けて懲らしめられるという恐怖もあるのかも知れませんが。
2.ジョーク
どうせ証明されないんだから面白がった者勝ち。
生活や生き方に影響を与えるような考えではないんだから楽しもうぜってことですね。
正直科学系の装いのチャンネルで「証明」だの「証拠」だのを乱発されるのは好まないんだけど、ジョークを面白くするために迫真の演技をしていると思えば許せないこともない。
3.宗教(の代用物)
宗教の役割って人間より上位の存在を意識し、それに対しこうべを垂れる、畏れ敬い敬虔になる、ってところにあると思いますが、世界をシミュレートしている者は全知全能であり造物主であるわけですね。
但し既存の宗教は戒律があって「べき」ことを言ってくる。それゆえ権力から利用されてきたりしてきたわけですが、そうした生臭さがなくニュートラルに信じていられるという気楽さがありますね。
それにしても、陰謀論でありジョークであり宗教でもあるという、なんとも現代的な感じがしますねぇ。「胡蝶の夢」の素朴さとは隔世の感がありますね。実際隔世してるわけだけど。
1. 無題
どの現実も、絶対的に証明することって恐ろしく難儀な気がしますが、こうして思考を巡らせることは面白いし、また、マトリクスを見なければ(笑)と思いました。
量子物理学と云うベールの下は、宗教とジョークと、陰謀論がごちゃまぜになっていてほしいなぁ。
失礼しました。